「幸福の代償」
	ヨークシンシティを去り、本拠地へ帰還したノストラード父娘に 遅れること数日、ようやくノストラード邸へ戻ったクラピカは、 早速　当主ライト・ノストラードから新たな命令を与えられた。 豪奢なノストラード邸の最奥、防犯上もっとも安全な位置に 令嬢の部屋がある。 きらびやかな装飾が施され、少女趣味な壁紙と家具に囲まれた 室内の中央には、天蓋つきの大きなベッド。その上に、部屋の 主たるネオンは寝そべっていた。 そして少し離れた場所にクラピカが立っている。 ライトの命令で訪ねて来たクラピカを前に、ネオンは不機嫌 そうに黙り込んでいた。 「お父上が困ってらっしゃいますよ」 「…………」 「なぜ占ってさしあげないのですか」 「…………」 ネオンは口をつぐんだまま。 彼女はヨークシンシティから帰って以来、一度も占いをしない のだ。 ライトはあの手この手で機嫌を取ろうとしたけれど、一切が 無駄に終わり、クラピカに説得を頼んだのである。 聡明で、娘と年齢も近いクラピカなら彼女を言いくるめられるの ではないかという期待と共に。 任務ならば仕方なく、クラピカはネオンの部屋を訪れ、ライトの 意向を伝えた。 「体の具合でも悪いのですか？」 「…………」 「他に何か理由が…？」 「……ん〜…」 本心から説得する気など無いクラピカだが、それでも表面上は 務めるそぶりを見せている。 ネオンは傍らのぬいぐるみをいじりながら目を逸らしていたが、 ふいに起き上がってクラピカを見た。 「ねェ、『クラピカ』だったよね。名前」 「…はい？」 「これに名前と血液型と生年月日書いて」 そう言って、サイドテーブルの上にあったメモを差し出す。 「なぜ…」 「いーから早く！」 急かされるまま、クラピカは紙に名前・血液型・生年月日を 記入する。 ネオンはそれを受け取ると、ペンを持った手を高々と掲げた。 「……？」 その姿勢のまま、数分が過ぎる。 彼女が念能力を使おうとしている事をクラピカは察知していた。 ネオンの体を覆うオーラが強まる様子を『凝』で確認できたから。 しかし念は発動せず、何事も起こらない。 やがてネオンは手を下ろした。 「…ほら、やっぱできないしー」 「…？」 ネオンはつまらなさそうに溜息をつき、ペンを投げ出す。 そして言った。 「あたしはパパを困らせたくて占わないんじゃないの。占いが できなくなっちゃったのよ。オークションから帰ってからね」 「え…!?」 念能力の喪失だとクラピカは直感した。 ネオンの能力に関して詳しくは知らないが、同じ念能力者と しては気になってしまい、つい追求する。 「オークションの後…ヨークシンで何かあったのですか？」 「うーん、いろいろあったしー…」 答えなから、ネオンはふと頬を染めた。 「実はねぇ、心当たりは、ちょっとあるんだよね」 「それは？」 間をおかず問いかけるクラピカに、ネオンは意味ありげな 含み笑いを向ける。 「あたしね、不思議な人に会ったの」 どこか嬉しそうに、うっとりとした表情でネオンは呟いた。 「一度だけ、ちょっと話しただけなんだけど、今まで周囲に いなかったって感じ？あれからずーっと気になってるんだ。 あの人の事で頭いっぱいだから、占いできなくなっちゃったん じゃないかなぁ」 ネオンは元々そういう性格なのか、または念を意識して修行の 末に能力を得たわけでは無いからか、能力の喪失をそれほど 大変な事態だと認識していないらしい。 何より、そのうきうきとした態度から、相手が男であろう事は 容易に想像がついた。 「でしたら、お父上に頼んで探してもらえば…」 「ダメダメー！それで占えなくなったなんてパパが知ったら、 あの人、殺されちゃうかも知れないもん。絶対ナイショだよー」 「…………」 人体収集という、いささか正常とは言えない趣味の持ち主で あるネオンにも、好意を抱いた男を案じる神経があった事実に クラピカは内心絶句する。 「でも、もう一度会いたいんだよねー…。このままずーっと 会えなかったら、あたし、寂しくて死んじゃうかも。恋患いって やつ？」 「……人間は寂しくて死んだりはしませんよ」 ─── でなければ、自分も５年前に死んでしまっている。 「わかってるよー、そんなの」 クラピカの内心の呟きに気付くはずもなく、ネオンはクスクスと 笑いをこぼす。 「いいんだ、別に。こうして思ってるだけでも楽しいから」 「ですが、お父上は……」 「パパなんて関係ないもん。あたしだって、ステキな人と恋とか したいんだから。占いなんてできなくっても、あの人に会えた事の 方が嬉しいんだもん」 そう言って、ネオンは実に愛らしい微笑みを浮かべる。 まさに夢見る乙女の表情で。 ネオンは己の、貴重で稀少な能力よりも恋心を重視している。 父親は逆に、彼女の能力を他の何より大切にしていたと いうのに。 だがクラピカにとってそんなことはどうでも良い。 気になるのは、恋愛沙汰で念能力が消えるなどという事態が 本当に起こりえるのかという疑問だった。 念はそんなに単純なものではないはずだが。 （もしも、それが本当だとしたら─── ……） クラピカの胸に不安がよぎる。 ネオンの推測に根拠は何も無い。 けれど、真実　感情の変化が念能力に影響するとしたら。 いつか自分もそうならないという保証はあるのか？ 何かを得れば何かを失うというのは、ありえる事だ。 それでも念能力を失うわけには絶対にゆかないけれど。 万一その時が来ても、自分は微笑っていられるだろうか。 能力よりも必要と思えるものを得られるだろうか。 ─── ネオンのように。 恋の幻と引き換えに能力を失ったネオン。 彼女は いずれ代償の大きさを知るだろう。 クラピカにはネオンを哀れむ事も、嘲る事もできない。 けれど、この無知で愚かな少女が、とても幸せそうに見えた。 ─── What is your happiness?
ＥＮＤ 　ヨークシン後のネオンの状況を想像してみました。 クロロの能力はピカも知らないはずだし。 　　　　　ちなみに私は特にクロロ×ネオン派というわけではありません。