「緋色の涙」 | ||
深夜の病院を蒼い月明かりが照らす。 奪われた眼の捜索はとりあえずゴン達に任せて、レオリオはクラピカを 早めに就寝させた。 その部屋に同室の患者は無く、ベッドが空いていたが、レオリオは少し でもクラピカの近くに居たくて、あえてソファを選んだ。 予想通り、長い手足がソファの縁からはみ出したけれど、そんな事は気に ならない。 就寝時間が過ぎてから数時間。クラピカはもう眠ったのだろうかと物音を たてぬよう、そっと視線を向ける。 「――――?」 こちらに背を向ける体勢で寝ているクラピカの肩が、小刻みに揺れている。 まだ寒さを感じる季節ではないが、震えているようだった。 「クラピカ?」 声をかけた途端、傍から見てもわかるほどはっきりと、大きく肩が揺れる。 そして、我が身を隠すかのようにブランケットをかぶった。 「どうしたんだ?…眼が痛むのか?」 クラピカがこんな態度を取るのは初めてで、レオリオはクラピカのベッドへ 歩み寄る。 「……寄るな」 声を聞いて、レオリオは気づいた。この震えは寒さを訴えるものではなく、 嗚咽を堪えているゆえなのだと。 だが近づくなと言われてハイそうですかと聞くレオリオではない。今まで クラピカが人前で泣くなど、ただの一度も無かったのだ。 「…大丈夫さ。眼の在処なら、ゴン達が必ず――――」 「そういう問題ではない!」 言い放ち、クラピカは一瞬顔を上げた。 薄闇に包まれる病室の中、包帯越しにも、涙が滲んでいるのがわかる。 驚きに固まるレオリオに再び背を向け、クラピカは搾り出すような声で 呟いた。 「こんな……こんな失態をしでかして……」 「――――え?」 「私は最後の……たった一人のクルタ族なのに、……眼を奪われてしまう など……決してあってはならない事なのに……!!」 レオリオは瞬時に理解した。クラピカは、眼を取り戻す云々よりも、『奪わ れた』という事実に憤っているのだと。 「なんという醜態だ…生きて眼を奪われるなど、天の同胞達に、何と言って 詫びれば良い…!?」 「クラピカ…」 「私は…私は、最後の緋の眼の持ち主なのに……」 「クラピカ!」 「もしもこのまま、永遠に緋の眼を失ってしまったら……!!」 「クラピカ!!」 深夜の病室に似つかわしくない声量で、レオリオは名を呼んだ。 同時に、たくましい腕がクラピカを抱く。 「お前が自分を責める必要なんか無え」 「レオリオ…」 「悪いのは、奪った方の奴だ」 「……でも……」 「奪られたなら奪り返せばいい。だからゴン達もがんばってくれてる。なのに 当のお前が希望を見失ってどうするよ!?」 「…………」 「大丈夫だ、クラピカ。オレはあいつらを信じてる。だから、お前もゴン達を 信じろ。いいな?」 クラピカはこつん、と額をレオリオの胸に押し付ける。 「………信じてる。私もゴン達を信じている。だけど今の私は、お前の顔すら 見る事ができないのに……!」 クラピカは細い指先を伸ばし、レオリオの顔に触れた。 「お前の顔すら見えないのに、どうやって同胞の眼を探せば良いのだ……」 「だったら、オレがお前の目になってやる」 あまりにもありきたりなセリフに、レオリオは内心舌打ちする。 もっとずっと相手の心に響くような文句は無いのだろうか。 いつだって手八丁口八丁で女を口説いてきたのに、情けなくて仕方ない。 「たとえ眼が戻らなくても、オレがお前の目になるぜ。ずっと一緒にいてやる。 だから、泣くなよクラピカ」 「……無理だ」 「何が!?」 「だってお前は医者になるのだろう。私のような咎人の介添えなど、させる わけにはゆかない」 「医者はジーサンになってもなれる。だけどお前の目になる事は、今しか できねえんだ!」 レオリオは更に強くクラピカを抱きしめた。 「医者になって大勢の貧しい人たちを救うより、オレは今、お前の眼を奪り 返す事を優先する。何が咎だよ、お前の事情なんざ全部承知してる。それ でもオレにとってお前は、かけがえのないたった一人の存在なんだからな!」 「………レオリオ…」 包帯の端から透明な涙があふれ出る。こんなに想われている自分は、なんて 幸せなのだろうかと心の隅で戸惑いながら。 レオリオの指先が、クラピカの顔を優しく包む。 そして流れた涙の雫を唇で掬った。 「仲間を信じろ。そしてオレを信じろ。絶対に、絶望なんかするな」 「……レオリオ」 「わかったな?」 「……ああ」 いまだ涙を浮かべたまま、クラピカの口元に淡い笑みが浮かぶ。 信じられる友人がいる。苦難を分かち合える存在がある。 ――――愛してくれる人がいる。 ただそれだけで、クラピカは充分すぎる至福を感じた。 彼らとならば、必ずや希望の道が拓けるはずだと実感しながら。 |
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END |