「卯月日和」 |
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夢を見た。 光に満ちた夢だった。 愛する男と二人、降るような花に囲まれた、至福の光景。 季節は春、四月。 気怠い体で寝返りを打つと、包み込まれるような気配に意識が 浮上した。 柔らかくて、かすかに甘い香りがして、肌がくすぐったい。 またレオリオが悪戯しているのかと、クラピカは瞼を開けぬまま 浅く息を吐いた。 本当はまだ眠っていたい。起こすな、と言おうとして、咽喉の 渇きに気が付いた。 (――― ああ、もう) 思い出した。レオリオのせいだ。 昨夜のしつこい求め方ときたら、いい加減にしろとかなり本気で 拒んだのに、結局聞いてくれなかった バイトが忙しいだの単位がギリギリだのとぼやいている割に そういう余力だけは有り余っているらしい。 つきあわされる方は大変なのだぞ。 意識が飛んでいようが半分寝ていようがおかまいなしで、もはや 終わり頃など記憶に無い。 朦朧とした中、やたら謝られたような気はするが、怒るよりも 眠りたかった。 なのに、ウトウトしたと思ったらシャワーの湯に起こされるし。 面倒だ放っておけ眠らせろと言うのに「すぐだから、あと少し」 などとベッドの中と同じようなセリフを吐かれるし。 半寝状態だったから理性が切れて、罵声を浴びせた気もする。 気づけば拳が少々痛い。 ……もしかして殴ったかな? いやしかし、それはレオリオの自業自得というものだ。 最愛の女をこんなに疲労困憊させて。 バカ。スケベ。スキモノ。エロオヤジ。チカン。ヘンタイ。 ぬけない眠気が無意味な理屈を形成しているらしく、クラピカは 心の中で思いつくまま罵詈雑言を並べ立てる。 やがてそれも虚しくなって、思考を放棄した。 (……今、何時だろう?) 本当は起きたくないが、あいにく二度寝のできない体質である。 次第にはっきりしてくる意識に、クラピカは諦めの溜息をついた。 寝息や布ずれの音が聞こえないから、諸悪の根源は既に起きて いるのだろう。 今日は何らかの報復をしてやらねばと考えるが、脳裏に浮かぶ 悪びれない笑顔に、気が抜けてしまう。 惚れた弱みもここまで来たかと思うと情けない。 クラピカは重い瞼をゆるゆると上げた。 ――― 次の瞬間。 (え?) 薄い幕が下りたような視界の中は、まばゆいばかりの黄金色。 一瞬、自分が何処にいるのかわからなくなった。 驚いて目を凝らして、更に目を丸くする。 クラピカの周囲にあるのは、一面の花。 「何……これ…」 見れば枕元も、シーツの上にも、毛布の足元まで、キングサイズの ベッドを覆いつくすように、大量の菜の花が飾られていた。 「お目覚めですか、お姫様」 クラピカが呆然としていると、エプロン姿のレオリオが寝室を 覗き込んだ。 起き上がろうとして、クラピカは下着一枚しか身につけていない 事に気づき、毛布を胸まで引き寄せる。 「レオリオ、これは一体」 「菜の花さ」 「名前くらい知っている。菜の花がなぜここに、こんな大量に あるのかと聞いているのだよ」 「実家が花屋やってるダチに、卸値で売ってもらったんだ」 レオリオは満面の笑みで歩み寄り、ベッドの傍に膝をついた。 「どうだった?花に囲まれた目覚めっての。なかなかロマンチック だろ?」 それでか、とクラピカは思い当たる。 たくさんの花とレオリオが登場した夢の原因は、これだったのだ。 「まるで童話のお姫様みたいでさ、見てるオレも楽しかったぞ。 本当ならバラとかでやりたかったんだけど、あれ高価いから 残念だけど諦めて、手頃な花を探した結果、これになったんだ」 「……何を考えているのだ」 クラピカは呆れてしまう。バラのベッドなど、まるで外国映画では ないか。まだ菜の花で良かったというものだ。 「でもキレイだろ?あ、ちなみにオレ花言葉とか知らねえから。 特に意味も含みも無いからな」 もはや言葉も無く、クラピカはただ苦笑する。 むしろレオリオは、このセッティングを楽しんでいたのだろう。 早朝に起き出して花を用意し、いそいそとベッドに飾りつけて いる彼の姿が目に浮かぶようだ。 ――― もしや、その為に昨夜なかなか眠らせてくれなかったの だろうか。 完成前に目を覚ましたら、せっかくの計画が台無しだから。 だとしたら本当に、何を考えているのだか。 「こんなにたくさん、挿せるだけの花瓶など無いのだよ」 菜の花ベッドを見回し、クラピカは現実を口にする。 「大丈夫だって。これ食用にもなるヤツだから」 しかしレオリオの言葉は更に現実的だった。 (――― 何がロマンチックなのやら) それでも、こぼれる笑みを抑えられない。 くすくすと笑うクラピカに、レオリオもつられるように笑った。 「ではお姫様。改めまして」 レオリオはうやうやしくクラピカの手を取る。 「お誕生日、おめでとうございます」 祝辞と共に、手の甲にキスをした。 まるで騎士か王子のように。 「つきましては、ブランチを用意しております。こちらへお持ち いたしましょうか?」 「そうだな。私は空腹だ。ただちに持って参れ」 レオリオの従者ごっこに合わせて、クラピカは命令をする。 「仰せのままに、我が姫」 楽しそうにお辞儀をして、レオリオは立ち上がった。 「待て、レオリオ」 しかし踵を返す前に呼び止める。 「朝の挨拶を忘れているのだよ」 そう言って唇を指し示すクラピカに、レオリオもすぐに察した。 「――― これは失礼をば」 レオリオは嬉しそうに笑い、かがみこむようにして口接ける。 最初は触れ合うだけ。 しかし間をおかず繰り返し、舌先が唇に添って這う。 それ以上深くなる前に、クラピカは制止した。 「そこまでだ」 きっぱりと突き放され、名残り惜しそうに見つめる視線が愛しい。 けれど彼には昨夜、好きなだけ好きなようにされたし、何よりも 菜の花で飾られた寝台が乱れてしまう。 それを造り上げたのは、他ならぬレオリオなのだから。 「どこぞの不埒者のおかげで空腹なのだよ。食事の膳を所望する」 「承知いたしました、お姫様」 自覚は充分にあるらしいどこぞの不埒者は、苦笑を浮かべながら キッチンへ向かって行く。 時計を見れば、昼には少し早い頃。 まだ充分、今日という日を楽しめる。 レオリオは従者と姫ごっこが気に入ったようだし、便乗するのも 悪くない。 さて何をしてこき使ってあげようか? 花の褥の中で、クラピカは一人ほくそ笑んだ。 四月四日は、まだ始まったばかり。 |
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イメージイラスト END 「弥生日和」とは何の関連も無いですね(汗) |