「ドクター」                   
 


「ただいま…」
深夜に玄関から聞こえた声は、ひどく力が無い。
昨日の昼、勤務先の病院から緊急招集を受けて飛び出して以来、
24時間以上ぶりにレオリオは帰宅した。
「お帰り、レオリオ」
「起きてたのか」
出迎えたクラピカに、レオリオは笑いかける。
だがその表情にも精彩が無く、単に疲労しているだけではないと
クラピカは、今までの経験で直感した。
「…何か食べるか?」
「後でいい。先にシャワー浴びるから」
カバンを受け取り、バスルームへ向かうレオリオを見送って、
キッチンで飲み物を用意する。
いつもはコーヒーを沸かすのだが、今夜はあえて酒を選んだ。
レオリオは仕事の愚痴を一切こぼさないが、たまにこんなふうに
わかりやすく態度に出る事がある。
それは彼の中だけで対処できなかったゆえだろう。
勘の良いクラピカでなくても、大方の察しはついた。


「先に寝てていいんだぜ」
「付き合いたいのだよ」
普段より時間をかけてシャワーから出て来たレオリオの隣に座り、
クラピカもグラスワインを取り出した。
レオリオは苦笑しながら、出されていたブランデーを飲み始める。
しばし無言で二人はグラスを傾けていたが、見抜かれている事は
一目瞭然で、降参したようにレオリオは口を開いた。
「……昨日、呼ばれてっただろ」
「…ああ?」
研修医とはいえ、正式なライセンスを有するハンターで、念治療を
行えるレオリオは珍重されており、緊急の呼び出しがかかる事も
少なくない。
「入院患者だったんだけど、急変してな…」
「…ああ」
平静を装ってはいるが、その口調は みるみる内に沈んでゆく。
「………がんばったけど、ダメだった」
「…そうか」
テーブルに置いたグラスの中の液体を見つめるように、レオリオは
俯いた。
医師は患者を助ける一方で、力が及ばない場合もある。
救急外来のある病院に勤務して以来、何度も経験しているのに
レオリオはその都度苦しんでいるようだった。
医者がそんな有様では身がもたないだろうと思うが、それは彼の
優しさゆえだから、仕方ないのかも知れない。
クラピカはレオリオを抱き寄せ、静かに告げる。

「……医者は神ではないのだよ」

たとえ世界有数の名医でも。
ハンターでも。
念能力を持っていても。
助かる命と、助けられない命がある。
それはレオリオにもわかっている事なのだが。

「……助けてやりたかった。まだ7歳だったのによ…」
クラピカの胸にすがるように頭を寄せて、レオリオは呟いた。
どんな患者でも命の尊さは同じだけれど、年端もゆかぬ子供が
亡くなるのは、本当に辛い。
夢も希望もあったはず。生への渇望もあった。病に蝕まれても
必死で戦い続け、未来を勝ち取ろうとがんばっていたのに。
「オレもまだまだ、足りねえなあ……」
「……お前はよくやったのだよ。お疲れさま」
少し湿った黒い髪を撫ぜながら、クラピカは慰労する。
レオリオは最善を尽くしたのだ。その事実だけを誇りに思おう。
医学は日々進歩しているから、次に同じ病気の子供と出会ったら
その時こそは治せるかも知れない。いや、治してみせよう。
そんな明日を信じて、医師は白衣をまとうのだ。

「医者が奥さんに癒されてりゃ、世話ねーよな…」
「……妻としては及第か?」

『妻としては』と言ったのには理由があった。
以前、クラピカは子供を流産している。
常に月経周期が不安定だった為、妊娠の事実に気づかず
ブラックリストハンターとして無茶な生活を続けていたせいで
胎児は初期に流れてしまった。
病院で初めてそれを知ったクラピカは衝撃に打ちのめされ、
また自責に苛まれて、ひどく落ち込んでしまう。
事態を聞いて駆けつけたレオリオに何度も謝り、女として
失格だと自己嫌悪に陥った。
そんなクラピカを支え、慰め、立ち直らせてくれたのは、
やはりレオリオである。
以来、クラピカはブラックリストハンターを辞めた。
そして望まれるままレオリオの妻となり、今に至る。

「お前はオレの、最高のホームドクターだよ」
寄り添う細い身体を抱きしめて、レオリオは言った。
守りたいもの、慈しみたいもの、大切なもの。すべてはこの
腕の中に存在している。

「命は廻り、転生し、再びどこかに生まれて来る……そんな
教えの宗教があったな」
輪廻転生も、神の存在も、ずっと信じてはいなかった。
だけど今、それは真実であると思いたい。

「レオリオ…」
「ん…?」
「今、言うべきかどうか迷ったが、やはり言っておきたい」
クラピカはやわらかな笑顔でレオリオを見つめた。

「……私、子供ができたのだよ」

失われてしまった命がある。
新たに芽生えた命がある。
命が廻り、転生し、再びどこかに生まれて来るのなら。

「今度こそ、無事に産んであげたい」
「クラピカ…!」
しばし目を真ん丸くしていたレオリオは、歓喜の声を上げた。
それからクラピカの腹部に顔を寄せ、愛しげに擦り寄せる。
「大丈夫、無事に生まれて来るさ。……オレが守るからな」

包むように抱きしめるレオリオを抱き返しながら、クラピカは
微笑した。
そう、きっと大丈夫。
今度は、世界一の名医が傍にいるのだから。

「あと七ヶ月、よろしく頼むのだよ。ドクターレオリオ」
「おう、任せとけ!」


今日 消えてしまった命の灯も、いつか新たな命となって、
この世に還って来るのかも知れない。


――― それは、新たな希望の日々の始まり。

          

   
  END


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