「末は博士か花嫁か」

〜七幕〜



クラピカは久しぶりに寝床から起き、着物を着て身づくろいを
整える。
「大丈夫ですか?クラピカさん」
着替えを手伝ったセンリツの心配そうな問いかけに、クラピカは
気丈に背筋を伸ばして笑顔を作った。
まだ治りきらない風邪の咳が残っているし、体重も少し減って
顔色も良くないが、会わないわけにはゆかないだろう。
そしてルシルフル中佐の待つ客間へ向かうと、廊下で叔父と
出くわした。
しかし。
「クラピカ、お前は来なくていい」
命令口調の叔父に、クラピカは怪訝そうな顔を向ける。
「呼ぶまで隣室で待っていろ」
もしや暴言でも吐いて破談をもくろんでいるとでも思われたの
だろうか?
叔父の意図は不明だが、そもそも会いたくない相手である。
クラピカは素直に、客間の隣の和室に控えた。


「お待たせしましたな」
叔父は一人で座敷に入り、ルシルフル中佐の対面に座る。
「中佐殿には、わざわざのお運び、恐れ入ります」
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう、叔父殿。いずれ身内になる
仲ではありませんか」
ルシルフル中佐は愛想よく言葉を返す。
まだ話を受けてもいないのに、決定事項のように言われるのが
隣室のクラピカの神経に障った。
「時に、姪御は?」
「あいにく伏せってまして。身繕いに時間がかかっているようです」
「おや、そうでしたか。では後で見舞いの品でも届けさせよう。
ブハラ屋の菓子はお好きかな?」
「いや、どうかお気遣いなく」
「とりあえず今日は、結納の日取りだけでも決めますか。叔父殿、
次の大安吉日などいかがです?」
事務的な遣り取りの後、遂に本題が持ち出される。
――― その件ですが」
しかし叔父は冷静な態度を崩さず、改めて中佐に向き合った。
「少々困った事態になりました」
「何か不都合でも?」
叔父はおもむろに、懐から書状を取り出す。
「姪がなかなか本復しないので、ツテを辿って狩人大学の医師に
診てもらったのですが、今朝方 連絡が来ましてね」
瞬間、クラピカの胸がギクリと鳴る。
叔父は悠然と座卓の上に手紙を開き、そして言った。
「姪は、結核だそうです」

「!」
(!?)
客間の空気が凍りつく。
この時代、結核は不治の病。死病と恐れられており、感染防止の
為に療養所へ隔離されるのが常である。
クラピカ自身、己が耳を疑った。驚愕のあまり、咽喉の奥から
せりあがった咳がコホコホと小さく漏れる。
隣室に病人の気配を察し、一瞬ルシルフル中佐の視線が向いた。
そんな中、叔父は淡々と言葉を続ける。
「これが診断書です。早急に診療所へ移送せよとの医師命令が
出されました」
どこか大げさに息をつきながら、座卓に広げた書面を見つめる。
そこにはサトツ医師の初見報告と共に、医学長ネテロの署名も
あった。
「中佐殿には申し訳ないが、婚姻は、姪が完治するまで待って
いただけますかな」
――― いや、残念ながら」
ルシルフル中佐は立ち上がり、従者に預けていた上着を取る。
「このお話は無かった事にしていただこう。失礼する」
言うや否や、足早に客間を後にした。その態度は、結核患者を
出した家になど一分一秒も居たくないという嫌悪があからさまに
見えている。
それほど忌み嫌われている病ではあったが、一度は嫁にと望んだ
娘の家族に対して、失礼きわまりない。
「姪御に、大事にと伝えられよ」
とってつけたように言い残し、中佐はクルタ家を出て行った。



「センリツ、塩を撒け!」
玄関先で中佐を見送った叔父は、車が遠ざかるや否や、途端に
眉を吊り上げる。
苛立ちに青筋を立てながら、ドカドカと廊下を進み、居間に戻った。
「奴の座った座布団を洗え!茶碗は捨てろ!くそ、腹の立つ!」
あたふたと使用人が走る中、クラピカは呆然と立ち尽くしている。
「……叔父上…」
「あぁ?」
「先程の事……」
「聞いた通りだ、縁談は流れたぞ」
「そうではなくて」
それはそれで嬉しいのだが、素直には喜べない。
「……私は、結核なのですか?」

ただの風邪だと思っていたのに。
確かに小さな咳は続いているが、もう熱も無いし、長引いたのは
気持ちが落ち込んでいたからだと思っていたのに。

「ああ、これか。サトツ教授の紹介でネテロ学長が書いてくれた、
本物の診断書だ」
そこには間違いなく『病名・結核』と記されている。
「では、やはり…」
「ただな」
叔父は憮然としたまま、懐からもう一枚の書状を出した。
「この診断を訂正する文書も、一緒に届いてるんだ」
「え!?」
クラピカは再度驚き、広げられた書面を見る。
そちらには、結核という診断は誤りであり、クラピカの病は軽症の
流感であると明記されていた。
もちろん、サトツ教授とネテロ学長の署名入りで。
「……叔父上、これは」
「天下の狩人大学の先生でも、間違いはあるって事だろ。話す前に
ルシルフル中佐は帰っちまったがな」
そう言って、叔父は不敵な笑みを浮かべる。
しばし唖然としていたクラピカにも、しだいに事の真相が掴めた。
誰が主犯かは知らないが、サトツ教授と学長までが示し合わせて、
虚言芝居を打ったのだろう。
ただクラピカの幸せの為に。

「叔父上……」
「お前を不幸にしたら、あの世の兄たちに顔向けできねえからな」
「……ありがとうございます」
クラピカは改めて正座し、畳に手をついて叔父に謝意を述べた。




※結核は、現在では早期発見・早期治療で完治できる病気です。